2010年12月21日火曜日

サーフィンにハマって40年、2011年もよろしく。

サーフィンにハマって40年が過ぎた。


40年前はサーフィンの『サ』の字も判らず、ましてやルールも知らなかったし、コンテストも何も知らなかった。
知る術もなかった。


単純に波が有ればオンショアでもショアブレイクのダンパーでも入っていた記憶が有る。


あの頃のサーファーの誰もが、サーフィンの上手い下手関係無く、『俺がルール』『俺がピーク』感が強く、コミュニケーションが計れたのは稀な事で、ケンカ(?)と年功序列で統制されていた(?)
(しかし現在でも、一部のポイントでは、このスタイルがまかり通っているポイントがまだあると聞く。)


この40年の間にサーフィン業界が組織化され、万国共通のルール・マナーが確立し、環境保護のビーチクリーンやポイント保全の為の環境整備が提唱される時代に変わって来た。


日南でも6年前に『日南市サーフィン連盟』が設立された。
他のエリアでも、それなりに団体が設立され、それなりに活動していると聞く。


しかし他団体と市連盟の相違点は、日南市サーフィン連盟会員・スタッフは、自分達の日南ポイントの環境の発展・整備をどうすればいいか、何をすればいいか、常に自立した向上心を持ち連盟に意見を持ち上げて来る所に有る様に思われるのだが・・・。


話がずれるが、今回『NSA宮崎支部長更迭の問題』に関し宮崎県内のNSA協力店に県連連絡網で個人的に『支部長継続』の同意書を送って頂いたが、返事を貰えなかったNSA協力店には、先に述べた旧態依然のサーフィン文化がまだ根付いているのかとガッカリさせられた。

 
関東圏のポイントでは小中学生が凄いサーフィンをしている。
JUNIORProの台頭。


冬でもサーフィンスクールで飯が食えると聞いている。
TVの天気予報で良く湘南が映し出されているが、平日の早朝でもあのサーファーの多さ。
凄いと感心させられる。

 
宮崎ではサーファーと呼ばれるサーファーの人数は各エリアコンテストを参考にすればコンテストサーファーの人数は把握できるが、フリーサーファー・移住サーファーの数は把握する事はまず不可能な程増加している。


増えているにも拘らず、ショップに顔を出すサーファーは激減していると聞く。
旧態依然的な考えだと、一般サーファーもショップに関り合いたくないのか・・・。


サーフィンにハマって40年。
この宮崎のサーフィン業界。
まだ旧態依然とした文化が残っているのでは、先が思いやられる。


『日南市サーフィン連盟』の組織・団体・会員・スタッフは全国に出しても恥ずかしくないと自負できる様に育った。
同じ宮崎県サーファーとして誤解されない為にも、旧態依然としたサーフィン文化に取り憑かれている方々は、『日南のサーフポイントには来ないで欲しい』と言う所が俺個人の意見。




サーフィンにハマって40年。
後何年入水出来るか判らんが、匠平・寛がプロに育ち、孫と海に入る時代になった。
日南をリードしていく若手も育ちつつある。
還暦を迎える前に世代交代考えんとイカン。

30数年前には、ここまで出来るとは考えもしなかったが、 腰と首頸椎ヘルニアがもてば、多分来年も再来年も大浦・コブケに浮かんで、イイ板を作りながら日南のサーフィンタイムを楽しんでいるはずだ。

日南を大事にしてくれる全国のサーファー諸氏には、来年も宜しくとお願いしたい。

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